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モリの洞窟

モリエールの妄想の洞窟へようこそ

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涙が止まらなかった。

突然のことにどうしていいのかわからなかった。

「何でぇ、何で星の子ぉ…」

突如ひとりになって、見習い天使は泣きじゃくった。

大粒の涙が頬を伝い、抱えている小さな天使の頭にその雫は落ちていった。

「あ~、う~」

腕の中でもぞもぞと小さな体を動かす。

「あっ、ごめん。冷たかったね」

見習い天使は、小さな天使の後頭部の巻き毛に沁みこんだ涙をあわてて手で拭った。

身をよじる小さな天使の向きを変え、そのあどけない顔を見つめた。

「あ~」

涙で濡れている頬へと、小さな手が伸びてきて、思わず見習い天使は抱きしめた。

星の子が身を賭して守ってくれたように、自分もこの子を守ろうと心に誓った。

「…絶対、私、あなたを守ってみせるよ…」

星の子を失って、不安だらけの心に、まるで刻みつけるように見習い天使はつぶやく。


この小さな天使を死神から守る。

星の子のためにも、この任務を何としてでも成功させるのだ。


涙にくれていた目に、青い星の光は見つからない。

星の子が向かおうとしていた方向にある街明かりへと目を向ける。

大きな街の明かりに、空は一層薄れている。

あの街を越えて、それから星を探す。

そう決めると、見習い天使は涙で冷たい頬を手の甲で拭った。

星の子が散らばった辺りへ、哀しい眼差しを送り、想いを閉じ込めるように目を閉じると、

意を決して空へと舞い上がった。




果樹園を越え、高い建物がひしめき合う街並みが大きくなってきた。

来たときとは違って、道路を行き交う車の姿もほとんどない。

キラキラしていたネオンも消え、歩く人の姿も見当たらなかった。

月は真上で輝き、今は真夜中なのだ。



その静かな街の上を、見習い天使は来た時よりも低い高度で飛んでいた。

目立たぬように、月の光に照らされない暗がりを行く。

「あれは…何…?」

不意に見上げた月の中に、細長い物体が浮かんでいるのが目についた。

それは次第に大きくなっていく。

「え?汽車…?」

雪降らし作業をしていた時に、はるか下界で白煙を上げて移動していくものに、目を奪われるように見ていたことがあった。

もちろん、それに気がついた上官の天使さまに怒られたのであるが。

その時、上官の天使さまが教えてくれたのだ。

汽車という乗り物で、人やものを運ぶものだと。

でも、汽車は線路に沿って走っていくもので、空を飛んだりはしないものなのだ。

見習い天使は何度もまばたきして、それを見る。

消えるどころか、どんどん大きくなって、白煙をあげてはいないが、やはり間違いなく汽車であるのがはっきり見えた。



その汽車は街の上空をゆっくりと旋回する。

見習い天使が浮かんでいる建物の上空に差し掛かった途端、動きを止めた。

そして二両目の客車のドアが一斉に開いた。

白い四角い物体が中から押されるようにして、ドアをくぐってくる。

「な、何、あれ…?」

一体、二体、三体。

前と後ろのドアから次々と出てくる。

重さのないものなのか、ふわふわした雪のように大きな体はゆっくりと降って来る。

四角い体には、まるでペンで書いたような丸い点のような目と、四角く掘ったような口が開いていた。

そして体には『死人形』と文字が書いてある。

「な、何…??」

わけのわからないものの出現に、見習い天使は、建物と建物の間の小さな路地に入った。

そして様子をうかがう。

目の前を大きなその四角い物体が過ぎていった。

風に流れるようにゆく物体と、見習い天使は目があった。

瞬間、その物体の目と口から黄色い光を発した。

「ふあ!」

だが、その物体自身は飛ぶ力を持っていないらしく、下へ落ちていった。

「び、びっくりしたぁ…」

見習い天使は建物に沿って上へと舞上がる。

汽車は、先ほどよりも高いところにあった。

もう白い変なのは出尽くしたのか、ドアも閉まっている。

地上へと目を向けると、何体ものその白い物体は通りを徘徊していた。


ノッテ、ノッテ、ノッテ。

妙な音が近づいてくる。

どこから?と見習い天使は左右を見渡す。

「う~」

小さな天使の声に下を向くと、小さい天使が向けている方へと見習い天使は顔を向けた。

「ふああ…!」

先ほど目があった物体なのか、壁を普通に歩くみたいに登ってきていたのだ。

見習い天使は、建物を飛び出した。

まずはこの変なのから離れる。

空にあるのは汽車しか見えず、見習い天使は力強く羽ばたいた。


ところが、

飛び出した見習い天使に向けて、汽車の陰から白い物体が向かってきた。

先ほどのものと、見た感じは同じであった。

「羽がついてる…!」

ただ一点だけ違っていた。

大きく平たい背中には、見習い天使と同じ大きさの羽がついていた。
 

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「星の子ーーーっ!!」

見習い天使は小さな天使を抱いたまま、草地に倒れた星の子のもとへと飛んだ。

死神が去ったことで、辺りはまた虫の音の合唱がはじまった。

「…星の子…?」

見るも無残に変貌した星の子の姿に、見習い天使は恐る恐る声をかける。

いつもやわらかな光に包まれていた星の子の体は今は黒く、体の芯でまるで熾き火のような光が揺らめいていた。

それは今にも消えてしまいそうな揺らめきであった。

「ねぇ、星の子…、返事して…」

見習い天使の大きな瞳に涙があふれる。

触れようと、手を伸ばした。

「…ボクに触ったら…駄目だよ…、オデコちゃん…」

「星の子…。だって、スゴイ痛そうだよ」

「たぶん、ボクの体はすごく熱い…。だから、触んないで…。オデコちゃんは…はやく天使の館に向かうんだ」

「でも…」

「…死神は…きっと、またやってくる…。今のうちに…」

「星の子を置いていけないよ」

「…ボクを運ぶことはできないよ…。大人の天使さまが二人でやっとだと思うから…」

「えっ!?星の子ってそんなに重いのっ!?」

「…だから…キミだけで…後を頼むから…。任務が成功したら…ボクも成功になる…」

「どうやって帰ったらいいのか、わかんない」

「…夜空に…青く光る星がある…移動している館への雲のトンネルが…隠されてる…それを探して…」

見習い天使は、星の子の言葉に空を見渡す。

周りを囲む木々の向こうの空には、大きな丸い月が輝いていて、星の光は薄く、青い光の星など一向に見当たらない。

「見えない…星は見えないよ」

「大丈夫…落ち着いて…心を澄ませて探すんだ…」

「見えない…どうしよう…」

「…オデコちゃん…君なら…できるから………」

言葉が途切れて、見習い天使は星の子を見やる。

熾き火のような光は、さっきよりずっと小さくなっていた。

「星の子?ねぇ、星の子、消えたりしないよね?ねぇ、星の子ぉ」

「大丈夫だって言って…、ねぇ、星の子ぉ」

「…疲れてるだけだから…オデコちゃんは任務を…。夜明けまでに…その子を…」

星の子は目をつむったまま、小さな声でささやく。

今にも消えそうな星の子に、見習い天使は大粒の涙をこぼしていた。

「…オデコちゃん…ボクはね…もうボクのために誰かが泣くのは辛いんだ…」

「うっ、えっ、だって…だって星の子っ」

「…行って。ボクのためにも…任務を成功させて…」

見習い天使はしゃくりながら、言われるままに手の甲で涙を拭う。

払っても、払っても涙は止まらない。

こんなに傷ついている星の子を置いて行かねばならないのだ。

そしてたった一人になって、この小さな天使を守らないといけない。

不安に心を揺すられて、それでも行かなくてはいけない。

「…星の子、私、絶対この子を守るから…。助けが来るまで頑張って待ってて」

涙声で、黒ずんだ体の星の子に告げた。

返事のない姿に、見習い天使は唇を震わせて涙をこらえて立ち上がる。

「…あれは…?」

突如、星の子は目を見開いた。

内側からの光に焼かれて、黒目がちであった瞳は真っ白であった。

「…あれが…あれが運命の扉…? ボクはくぐれるのですか…?」

何処を見ているのかわからない瞳で、星の子はかすれた声を上げる。

「どうしたの、星の子? 何を見てるの? 扉なんて何処にもない!」

辺りは月の光が注ぐ木々が穏やかな風に揺れているだけ。

「…光がまぶしい…」

「どうしちゃったの、星の子ぉ」

自分には見えない何かを見ている星の子に、見習い天使は恐れを感じた。

声は届いてないのか、星の子はビクリともしない。

ただ一点を見つめている。

かすかな笑みを口元に浮かべて。


「…ボクはやっと…ボクを忘れることができる…」


そう星の子がささやいた途端、今まで熾き火のようであった光は一気に輝きを増して星の子の体を包んだ。

それは一瞬のことであった。

光ははじけて四方へ散った。

小さく無数になった光の破片は、いつも星の子が飛ぶと引く同じ輝きの光の線を引いていき、

そして光は消えていった。

「いやぁああ、星の子ぉーーーーーっ!!」

見習い天使は悲鳴を上げた。

何度も、何度も星の子を呼んだ。

けれどその声に、もう星の子が応えることはなかった。

「星の子ぉーーーーっ」

静かな月夜に、見習い天使の涙声は吸い込まれていった。

 

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「また、時間稼ぎか…?星の子」

鎌を挟んで対峙しあう。

星の子のシールドを、呆れた様子で死神は見つめた。

「まぁ、その立ち直りは賞賛に値するがな。…星明りの加護もないこの月夜にいつまで持つかな…?」

「く…っ」

先ほどのダメージもあって、星の子が放つ光は揺らめく。

「ふん。倒れていればいいものの…。前の星の子は逃げたぞ。お前もそうすればいい」

「逃げた…?」

「知らないのか? まぁ、逃げたとは他の者には言えないよな…」

星の子は、他の星の子たちがささやきあっていたことを思い出した。

決してひと言も語らない星の子の話を。

口の重い星の子はたくさんおり、どの子なのかわからなかったが、空を照らすことも拒み、ただ天にはりついている星の子がいるという話であった。

任務に失敗して、それ以来、心を閉ざしてしまったのだという…。


逃げたことで、一緒に行動していた天使が犠牲になったのなら、悔やんでも悔やみきれない。

ましてや、自分の後ろにいる見習い天使は特別な存在なのだ。

はじめての任務で運んだ小さな天使。

そして…凍てついた心に笑顔を戻してくれた。

笑い方を忘れ、泣き続けて空虚となった星の子の心に光を与えてくれた大切な存在なのだ。



『お前に…、二度目の任務が与えられた』

『本当ですか!相方は誰です?』

呼び出されて向かった天使の館の一室で、星の子は上官の天使さまと向き合っていた。

元々楽しそうにしている方ではないのだが、今日は一段と曇った顔つきをしていた。

『お前がよく知ってる子だ。紫の瞳の…』

『オデコちゃん?』

ため息をつくように上官の天使は目だけでうなづく。

『よかった!あの子と一緒なんて嬉しいなぁ』

『…まだ早い…、私はそう進言したのだが…』

『何で、そんな厳しくするの?ツリ目ちゃん…』

つい以前の呼び名で呼んでしまい、上官の天使さまはジロリと不快な目線を送った。

『あの子は不器用で…失敗ばかりだ。何度もチャンスのない任務を失敗してしまったら、あの子が困る』

『相変わらず、心配性だね。君だって、あの時はじめてやって、キチンと任務をし遂げたじゃないか』

『…いつまでも、そばに置いておきたいんだね、ツリ目ちゃんは』

上官の天使さまは、かつて一緒に任務についていた星の子をじっと見つめる。

『共に迎えに行ったお前ならわかるだろう…?想いが伝わって天使となったあの瞬間を…。あの祝福を…』

『…忘れてないよ、もちろん。でも、ボクは君がこんな運命を選び取るとは思わなかったよ…』

『すべての運命が決まったわけではない。私の祝福を受けた天使の行く末を見届けたくなった、それだけだ』

『まさか、あんなにおっちょこちょいとは…ビックリしたけどね』

『…この私の祝福を受けた子が、あんなに失敗ばかりとは…』

星の子は今まで目撃してきた数々のことを思い出し、クスクスと笑い、上官の天使も苦笑いを浮かべた。

『あの子を頼む…星の子…』

『まかして』

『…でも、もう一度進言してみるつもりだから、変更になるかもしれないが…』

『ええっ!』



一度目の任務は、星の子に希望を与えた。

天使が生まれる瞬間は、胸がかきむしられるほどの苦痛を感じたけれど、小さな天使の愛らしさに二人で見入ったものであった。


自分を知る者が命を終えるまで、住んでいた街の上で泣き続けたあの日々。

記憶を持ち続ける苦しみ。

そのすべてから許される。



星の子はなかなか回ってこない二度目の任務を待ち続けていた。

任務を待つ星の子はたくさんいて、早々に順番は巡っては来ない。

星の子は、指導員となった目のつり上がった天使の様子をたまに見にいった。

皆が選び取る道を選ばず、その道を選んだ天使は、位を授かったことでグンと成長した姿となっていた。



ちょうど、こっそり窓からのぞきこんだ時、上官の天使が見習いの天使に小言を言っているところであった。

人より面積の多い額に、ビシリとデコピンを食らわすのをしかと星の子は見た。


しばらくするとその見習い天使が、星の子が浮かんでいる下の茂みに、おでこを押さえて駆け込んできて、しゃがみこむなり泣き出した。

ふえ~ん、とか、ほえ~といった奇声が聞こえる。

しきりに反省の言葉が聞こえて、謝罪の言葉となっていって、

『二発も打つなんてヒドイっ!!』

文句で締めくくられた。

両手をばたつかせて怒る姿はかわいいやら、おかしいやらで、つい吹き出してしまった。

『誰っ!?』

振り返った顔は泣きすぎて真っ赤で、それよりもおでこの赤さは一段と目立った。

見覚えのある紫色の瞳。

そしていやに広いおでこ。


あの日運んだ小さな天使の成長した姿がそこにあった。



オデコちゃん、君は知ってるだろうか…?

心のどこかがいつも凍っていたボクに、君は心からの笑いを教えてくれた。

表情豊かな君を、見てるのは楽しかった。

からかうのは、もっと楽しかった。



君のように、笑ったり、怒ったり出来てたら…。

こんなことにならなかったのかもしれない…。


運命の扉をくぐれたら…、

ボクは、君のように…。


失敗に泣いても、他の見習い天使に陰口をたたかれても立ち向かう、君のように強くなりたい。



「ボクは、ボクは逃げない!」

「そうか…? もはや、限界といった感じに見えるがな」

星の子のシールドは光を失いつつあった。

「では、目の前で天使が狩られるのを見ているがいい!」

「…させるもんか…、させるもんかっ!うあああああーーーっ!!」

力が尽きかけたはずの星の子の体が突如まばゆい光を発した。

「なっ、何だ、この光は。まさか…、まさか、お前、魂を燃やしている…?」

「うあああああああーーーーっ!!」

光は辺りをも明るく照らした。

何が起こっているのか、見習い天使は小さな天使を抱えて座り込んだまま、星の子の変貌に驚愕の表情で見入っていた。

一瞬、小さな星の子の体に、手足の長い少年の姿が重なって見えた。

鳶色の髪を揺らめかせて、両の手を伸ばしている真剣な表情の少年の姿が。

まばたきすると、その姿は掻き消え、いつもの星の子の姿だけがあった。

星の子の体の中心には、まるで太陽のような炎のような揺らめきが見える。

直視できないほどにまぶしく、目がつぶれそうなほどの光の量であった。

「星の子が…、まさか…、心の弱い、星の子が…」

「ボクはもう、逃げないんだーーーーっ!!」

勇ましい、絞るような星の子の叫び声と同時に光は増した。

星明り色ではなく、まるで夕日のような鮮やかな色の光が体の中から広がっていく。



ピキ。


硬質な異質な音が聞こえた。

それは星の子から聞こえた。

内側の光に透ける体は黒っぽく見えた。

その内側に届くような深い亀裂が何箇所にも渡って入っていた。

「ほ、星の子…?」

恐ろしい光景に見習い天使は息を飲んだ。

熱をともなうその光に、色白な死神の顔の皮膚はただれて、苦痛に顔を歪めた。

優位に立っていた死神が、はじめて恐れを顔に浮かべた。

「くっ」

うめき声を漏らして、死神は気配を絶った。

対峙する相手を失った星の子は光を失くし、ドサリと地面に音を響かせて落ちた。

 

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くだものを実らせた枝が風に揺れる。

ザワザワという葉音があちこちから聞こえてくる。

見習い天使は、大きな鎌を持ち自分と向き合う死神の姿に息を飲み込んだ。

そして少し離れたところでは、星の子が仰向けで身じろぎもせずに地面に臥したままであった。

この窮地に、見習い天使は怯えるばかりであった。

死神は圧倒的な力を持っていて、無力な自分が到底太刀打ちできる存在ではない。


それでも。

この腕の中にいる温かで小さな天使を引き渡すことはどうしてもできない。

「決まったかな?天使よ」

「わ、わ、私は…、天使じゃありません」

「は? 何だ急に…。その風体で天使じゃないなら、一体何だと言うんだ」

「まだ…、ただの、み、見習いです。だ、だから、天使じゃありません」

「…お前の階級など知るか。天使に違いないだろ。天使とは頭に光の輪をいただいてる奴らを言うんだからな」

見習い天使は腕の中の小さな子を見つめた。

一度は光が薄れた天使の輪は、今は金色に輝いている。

「じゃ、じゃあ、この子は天使です。え~と、魂じゃないです」

「ああ?」

「ほ、ほら、ここに…、あの、天使の輪が光ってます。だから、この子は天使です」

トン。

死神は呆れた様子で、鎌の柄で地面を打つ。

大きな音ではなかったが、恐れながら対峙している見習い天使は思わずビクリと体を揺らした。

「では、お前がその魂を天使というのなら手を離してみろ」

「手を…?」

「手を離して、魂に戻らなかったら諦めてやろう。どうだ?」

見習い天使の脳裏に、死神が現れる直前の星の子とのやりとりがよぎった。

手を離せば…この子は魂に戻ってしまう。

ひどく時間の流れが遅く感じるけれど、さほどあれから時間は経ってはいない。

見習い天使は返す言葉に詰まった。

「早く手を離せ」

「えっと…。む、無理です」

「…何だ、コイツ。何か調子狂う…」

やりとりに呆れきった死神がボソリとつぶやく。

怯えて強張った見習い天使の顔を苦々しく見つめた。

「もういい。お前の返答を聞くのは面倒だ。さっさと奪うまでよ」

「ひゃあ!」

鎌を構えて向かってきた死神に、見習い天使はあわてて近くの木の後ろへと身を寄せた。

振るわれた鎌は白い光を引いて、その木を切り落とす。

幹が倒れかけた瞬間に、見習い天使は小さな天使を抱えたまま隣の木へと向かう。

「何だ、結構、素早いではないか。てっきり天使の中でも落ちこぼれだと思ってたぞ」

言い捨てると、さらに鎌を振るう。

木は確実に切られて傾き、たわわに実る赤い実を揺らして地面に倒れていった。

倒れてゆく木からすリ抜けた見習い天使はその実を拾うと、死神に向けて投げつけた。

死神は届いた実を鎌の柄で払い落とす。

「ふん。こんな攻撃、私に有効と思ったのか?」

「だって、他にできることなんかないんだもん!」

見習い天使はまた別の木の後ろから叫ぶ。

「天使なんてそんなもんだろう。存在に意味なんてないんだ。価値があるのは魂としてだけ」

見習い天使は夢中で転がっている実を拾っては投げつけた。

けれど、ほとんどが検討違いのところに飛んでいった。

「何でそんな言い方すんのよ!」

悔しくて涙声で見習い天使は投げつけながら叫ぶ。

「事実だからだ。その無垢な魂こそ利用価値がある」

「なっ、何に使うのよ!」

「狩った魂で作り上げたお人形さんの器に…丁度いい」

ニヤリと笑い、死神は言葉を繋ぐ。

「無垢な魂は雑多な魂の集合体を一つにまとめる優秀な材料なのだ」

「…材料…?」

「そう、材料だ。だけどね、めったに手に入らない。それはお前たち天使が気づかぬうちにさらって行くんでね」

「私のお人形さんのひとつが、そろそろ駄目になるころだったから、すぐに利用してあげるよ」

「いやっ!!この子をそんなのに使わせないっ!!」

「ギャーギャーうるさい落ちこぼれ。恨むなら、自分の失態を恨め」

「だが…、無力ながらその粘りは大したものだ。そこで寝転がってる星の子と違って…」

「星の子…?」

死神は冷笑をたたえて、星の子を見やる。

星の子はピクリと体を振るわせた。

「魂の格が違う。前に狩った天使は、最期まで譲らなかった。さぁ、お前はどうかな?」

たくさんの涙に送られて生まれた天使。

涙に暮れていた母親の姿が浮かぶ。

小さい温もりを見習い天使は抱きしめる。

「絶対、絶対この子は渡せない!渡さないもん!」

「よく言った。ならば滅せよ!」

月を背に向かってくる死神の姿がひどくゆっくりに見えた。

大きな鎌の鋭い穂先が白く光る。



目を見開いて固まる見習い天使の前に、まるで流星のように星の子が現れ、死神とぶつかり合った。

 

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長い階段を一段一段踏みしめるように登っていく。



この建物を登るのは久しぶりだった。

出来たばかりの時にお父さんに連れられてのぼったことがあった。

途中で疲れて段につまずいたボクは、お父さんに背負ってもらって屋上へと上がったんだ。



屋上からの展望は、あの時見た景色と何ら変わってはいなかった。

レンガ造りの建物がひしめき合い、その中に学校が見える。

ボクはさっきの出来事を思い出して、また心が重たくなった。



自転車を直すだけのお金なんかボクは持っていない。

ましてや、お父さんにそんなこと頼めない。

買ってもらったばかりの自転車を直してなんて言えない…。

二人に哀しい顔をさせて、哀しい思いをさせてまで、わがままなんて言えない。



手に入れた自由は…もう手の中からすり抜けていっちゃったんだ…。

流れていく景色も、

体に受けるあの心地よい風も…、

…もう手に入らないんだ…。



いつも人の顔色ばかりうかがってる情けないボク。

誰かを怒れるほど自分に自信は持ってはいない。

ただ笑って、いつも笑って…。



でも、今日は…もう…笑えないよ…。



「風…」


その時、風が吹きつけた。

あの坂を自転車で下った時に吹きつける風と同じ強さで、



ボクはただ無心に塀の上に登って両手を広げた。

髪の毛をなびかせて、服をはためかせて、風を全身に受ける。

目の前には夕日に赤々と燃える地平線が広がっている。



まるで鳥になった気分だ。

まるで空を飛んでいるみたいだ。

もう一度あの気分を…、自由をボクに与えて…、



ボクは枷をはめられているような右足で一歩を踏んだ。

生まれてからずっとボクを苦しめてきたその足は、その時だけ、軽やかな一歩を踏んだ。





「うあああああああーーーっ!!」

生々しい喪失の瞬間に、星の子は悲鳴を上げる。

「ふん。たった11歳3ヶ月と10日の命だったな。何とあっさりと命を捨てたものだ」

冷酷な死神の声に、星の子は反応せずに真っ青にガタガタと身を震わせるばかり。

死神が出した『魂の記録』は効力を終えて、まるで炎が消えるように姿をかき消した。

そして、向かい合う星の子のシールドはすでにとかれてしまっていた。

「ほっ、星の子ーーっ!!」

星の子の突然の悲鳴に見習い天使が星の子を呼ぶ。

「心の弱き星の子よ、お前にもう用はない」

「っ!」

「星の子っ!!」

死神は鎌の柄で星の子を打ち据えて地面に落とすと、ゆらりとマントをなびかせて見習い天使へと向いた。

「さぁ、天使よ。次はお前の番だ。魂を渡すか、それとも狩られるか」

暗いフードの下で、切れ長の瞳が見習い天使を見据えて怪しく光った。
 

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